硫黄島に残る医務科壕=東京都小笠原村で2024年3月30日午後2時18分,幾島健太郎撮影 天皇,皇后両陛下が7日に訪ねられる硫黄島(東京都小笠原村)は,太平洋戦争末期の激戦で2万人以上の旧日本兵が犠牲となり,戦後80年となっても約1万人の遺骨が収容されていない,戦争の記憶の継承が難しくなる中,硫黄島などで遺骨収集に取り組む若者がいる,彼らが感じた戦争の現実と,伝えたい思いとは,書籍で見た「艦砲射撃」の痕跡 今年1月,東京都心から約1200キロ南の太平洋に浮かぶ硫黄島には,作業着姿でスコップや小型のシャベルなどを使って懸命に地面を掘る学生たちの姿があった
コピーブランド その中の一人,東京都在住の大学3年,金田一光春さん(20)は今回初めて遺骨収集に参加した,「戦争の実情を知り,どうして戦争が起きるのかという疑問を解く何かをつかみたかった」と振り返る,Advertisement 旧日本軍の陣地跡を掘り進めていくと,砂地の中から溶けた岩と鉄の塊が姿を見せた,米軍の激しい艦砲射撃の影響で溶けた可能性があると聞き,言葉を失った,「書籍で見た『艦砲射撃』の4文字が持つ残酷な事実が80年たっても残されていた,兵隊さんがここにいたのであれば
ブランドスーパーコピー時計 高熱のためご遺骨も残らないのではないか」 厚生労働省によると,硫黄島で旧日本兵の戦没者は概数で2万1900人,今年1月末現在で半数を超える1万1190人の遺骨は未収容だという, 金田一さんは,大学生らで組織する「JYMA日本青年遺骨収集団」(東京都)の一員として,今年1~2月の約2週間
コピーブランド財布 厚労省の遺骨収集事業に参加した, JYMAは1967年に戦地での慰霊や日本文化の紹介,住民との親善などを目的に「学生慰霊団」として発足,70年以降は国内外で遺骨収集にも取り組んでいる,鉄かぶとをかぶった遺骨も 硫黄島での遺骨収集活動に参加したJYMA日本青年遺骨収集団の大学生=東京都文京区で2025年3月13日,高島博之撮影 神奈川県在住の大学3年の岩撫(いわなで)大毅さん(20)と,福岡県在住の大学3年の眞田晴香さん(20)も,同じ事業で硫黄島に渡った, 島に到着した岩撫さんは「小鳥のさえずりなどを聞き,のどかな雰囲気で戦争があったとは思えなかった」と話す, しかし,傷病兵が運び込まれた医務科壕(ごう)に入った時,眼鏡が一瞬にして曇り,サウナの中にいるような息苦しさを感じた,「過酷な環境で亡くなった人がいたことを実感した,映像や本では分からないことだった」 眞田さんは鉄かぶとをかぶった頭蓋骨(ずがいこつ)を目にした時の衝撃が忘れられない,作業中に見つかったといい,「厚い土の層の中に人が埋まっていることに80年という年月の長さを実感した」と話す, 参加者の中には他の地域で遺骨を収集した経験がある学生もいた,埼玉県在住の大学4年,岩田優志さん(21)は沖縄県で遺骨を収集したことがある,「沖縄は人々の暮らしがあり,戦後に街も造られたが,硫黄島は自衛隊の基地以外は戦争の時のまま残っていることに驚いた」と話す, 福岡県出身で沖縄県在住の大学院生,汐留優人さん(22)も沖縄での活動経験があり,戦争体験者や遺族から話を聞く機会も多かった,将来は福岡で教員になることを目指しており「私が体験したことや,聞いた戦争の話を次の世代の子供たちに伝えたい」と話す,若者が語り継ぐ難しさも 摺鉢山(手前)側から眺めた硫黄島の全景=東京都小笠原村で2023年10月30日,本社機「希望」から手塚耕一郎撮影 ただ,若い世代が戦争の歴史を語り継ぐことには難しさもあるという, 眞田さんは「戦争の話に興味があると言うだけで,色眼鏡で見られることを少し感じている」と打ち明ける,ただ,「戦争は二度と起こしたくない,戦争の話題を避けず,そこから学ばなければならない,体験者からじかに話を聞ける最後の世代として,過去から学び,共有するにはどうすべきか考えていきたい」と語る, 両陛下の硫黄島訪問に岩田さんは「硫黄島以外にも兵隊さんがたくさん亡くなった戦地があり,ご遺骨が残されたままの場所も多い,天皇陛下や皇族方が赴くことで,その事実を忘れていないとのメッセージになり,多くの人が知ることにつながる,ぜひ
スーパーコピーバッグ いろいろな場所に足を運んでいただきたい」と期待した
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